日常の搬送に潜む小さな変化を見逃さない
介護タクシーでは、通院や退院、転院、施設への移動、買い物や外出など、さまざまな方の移動を支援しています。その多くは、特別な医療管理を必要とする搬送ではありません。「いつもの通院」「いつもの利用者」「いつもの施設への送迎」といった、ごく日常的な搬送です。
しかし、日常的な搬送だからリスクがないわけではありません。
高齢の方や持病のある方、身体機能が低下している方をお乗せする以上、搬送中に体調や身体の状態が変化する可能性は常にあります。そして実際の現場では、突然大きな異変が起こるケースだけではなく、もっと小さな変化に出会うことの方が多いと感じています。
身体が少し傾いてきた。車いすの座面から少しずつずり落ちてきた。さっきまで自分で支えていた首が、徐々に後ろへもたれてきた。いつもより返事が遅い。
こうしたことは、介護タクシーの日常の搬送でもよくあります。
だからこそ私は、介護タクシードライバーに必要なのは高度な医療知識をたくさん持つことよりも、まず**「何かがおかしい」と気づく力**だと考えています。
私たちは診断をする必要はない
介護タクシードライバーは医師や看護師ではありません。介護職の資格を持っていたとしても、それによって医療職と同じことができるわけではありません。
搬送中に利用者の様子が変わったとき、「これは何の病気だろう」と病名を当てることが私たちの役割ではありません。
その代わり、私たちにはできることがあります。
利用者を観察して変化に気づき、必要であれば安全な場所に車を止めて状態を確認する。緊急性が疑われれば救急につなぎ、その後も観察を続ける。救命が必要な状態になれば、心肺蘇生やAEDなど必要な救命処置を行い、到着した救急隊へ状況を引き継ぐ。
重要なのは、病名を判断できることではなく、異常に気づいたときに次に何をするのかが分かっていることです。
そのためには、日常の搬送そのものに「観察」を組み込んでおく必要があります。
信号待ちではルームミラーを見る
私自身、信号待ちではルームミラーで利用者の様子を必ず確認するようにしています。
もちろん、運転中は安全運転が最優先です。走行しながら後方を見続けるという意味ではありません。赤信号など安全に確認できるタイミングを使って、後ろに乗っている利用者の様子を確認します。
なぜそうしているのかというと、体調や身体状態の変化は、徐々に徐々に起こることがあるからです。
出発したときには普通に座っていた方が、次の信号で見ると少し身体が斜めになっている。その次の信号では、さらに傾いている。
車いすの座面から少しずつ身体が前へずれて、気がつけばずり落ちそうになっていることもあります。
乗車時には自分で頭を支えていた方が、時間の経過とともに首を支える力が弱くなり、頭が後方へ倒れて顔が上を向いてしまうこともあります。
これらは、決して特殊な医療搬送だけで起きることではありません。介護タクシーの日常の中でもよくあることです。
だからこそ、「ちょっと」を軽視しないことが大切です。
「ちょっと」を軽視しない
身体がちょっと傾いている。ちょっとずり落ちている。ちょっと首がもたれている。ちょっと反応が鈍い。
一つひとつを見れば、「このくらいなら大丈夫だろう」と思ってしまうかもしれません。しかし、その小さな変化を放置したまま走り続けることで、大きな事故につながる可能性があります。
例えば、車いすから身体がずり落ちてきていることに気づいたら、「あと10分だから」とそのまま走り続けるのではなく、安全な場所に車を止めて姿勢を直します。
首がもたれてきたのであれば状態を確認し、単純に頭部の支持が必要なのであれば、その方と使用している車いすに適したヘッドレストなどを取り付けて姿勢を整えます。
こうした対応そのものは、介護タクシーの日常では決して珍しいことではありません。
ただし、大切なのは**「姿勢を直したから終わり」にしないこと**です。
なぜずり落ちてきたのか。なぜ先ほどまで自分で支えられていた首が支えにくくなったのか。
医学的な原因を私たちが診断する必要はありません。しかし、姿勢を直したあとに再び崩れてこないか、呼びかけへの反応に変化はないか、呼吸や顔色に違和感はないかということは、その後も見ていく必要があります。
観察とは、一度見て終わるものではありません。時間の経過の中で変化を見ることだと考えています。
「普段」を知っていることは大きな情報になる
異常に気づくためには、その方の普段の状態を知っていることが非常に役立ちます。
初めてお会いした利用者が眠そうにしていても、それが普段からなのか、今日になって起きた変化なのか、ドライバーには分からないことがあります。
だからこそ、搬送前にご家族や施設職員から「普段は普通に会話できますか」「呼びかけにはどのくらい反応しますか」「普段から眠っていることが多いですか」「今日はいつもと違うところがありますか」と聞いておくことには大きな意味があります。
SpO₂などについても同じです。単に正常値と比較するだけではなく、普段どのくらいなのかという情報があれば、変化を見るための材料になります。
つまり、異常に気づくためには「正常を知る」だけではなく、「その人の普段を知る」ことが重要なのです。
家族の「何かおかしい」を聞き逃さない
ここは利用者のご家族にも知っておいていただきたいところです。
ドライバーは、その利用者と初めて会うかもしれません。一方、ご家族は毎日の本人を見ています。
そのため、「今日はいつもより話さない」「返事が少し遅い」「顔色が違う気がする」「いつもより身体に力が入っていない」といった小さな変化には、ご家族の方が早く気づけることがあります。
そのとき、医学的に説明しようとする必要はありません。
「何かおかしいです」「いつもとちょっと違います」
それだけで構いません。ぜひドライバーに伝えてください。
ドライバー側も、家族からその言葉があったときに「大丈夫ですよ」と簡単に流すのではなく、普段との違いがあるという重要な情報として受け止め、利用者の状態を確認することが大切です。
JCSくらいは共通言語として知っておきたい
高度な医学知識は必要ありませんが、観察した状態を救急隊や医療職へ伝えるための最低限の共通言語は持っておきたいと考えています。
その一つが、意識レベルを表す**JCS(Japan Coma Scale:ジャパン・コーマ・スケール)**です。
JCSは大きく分けると、Ⅰ桁が「刺激しなくても覚醒している状態」、Ⅱ桁が「刺激すると覚醒する状態」、Ⅲ桁が「刺激しても覚醒しない状態」です。
より具体的には次のように分類されます。
- JCS 1:意識はほぼ清明だが、今ひとつはっきりしない
- JCS 2:見当識障害がある
- JCS 3:自分の名前や生年月日が言えない
- JCS 10:普通の呼びかけで容易に開眼する
- JCS 20:大きな声や体を揺さぶることで開眼する
- JCS 30:強い刺激を加えながら呼びかけを続けると、かろうじて開眼する
- JCS 100:刺激に対して払いのけるなどの動作をする
- JCS 200:刺激によって手足を動かしたり、顔をしかめたりする
- JCS 300:刺激に反応しない
ただし、JCSの数字を正確に当てることが目的ではありません。
例えば、乗車時には普通に会話していた方が、10分後には普通に呼びかけても目を開けず、大きな声で呼びかけると開眼するようになったとします。
この場合、「JCS20です」と伝えられることも役立ちますが、それ以上に重要なのは、**「乗車時には普通に会話できていたのに、10分ほど前から反応が悪くなり、現在は大きな声で呼ぶと目を開けます」**と、実際に観察した変化を伝えられることです。
数字に自信がなければ、無理にJCSを使う必要はありません。見た事実と時間経過を正確に伝えることの方が重要です。
異常を感じたら、走りながら考えない
搬送中に何かがおかしいと感じた場合、後ろを気にしながら走り続けるのは危険です。
まず安全な場所に停車し、利用者の状態を確認します。呼びかけへの反応、呼吸、顔色、姿勢、本人の訴えなどを確認し、ご家族が同乗していれば「普段と比べてどうですか」と聞きます。
そして、緊急性が疑われるのであれば救急へつなぎます。
ここでも私たちが病名を決める必要はありません。「脳梗塞なのか」「心臓なのか」と診断しようとするのではなく、このまま通常の搬送を続けてよい状態なのかという視点を持つことが重要です。
119番通報をしたあとも、救急隊が到着するまでは観察を続けます。意識や呼吸などに変化があれば、その経過も救急隊へ伝えます。
さらに、反応がなく正常な呼吸が認められないなど、救命処置が必要な状態になった場合には、119番の指示等に従いながら心肺蘇生やAEDなど必要な救命処置を行い、救急隊へ引き継ぎます。
そのため、介護タクシー事業者はJCSだけでなく、心肺蘇生やAEDなどの応急手当についても定期的に学び、「知っている」だけではなく「必要なときに動ける」状態にしておくことが大切です。
大切なのは、迷わず次の行動に移れること
介護タクシードライバーに必要なのは、膨大な医学知識ではありません。
必要なのは、普段から利用者を観察し、小さな変化に気づき、それが単純な姿勢の崩れであれば安全な場所に停車して整えることです。そして、その後も様子を見る。体調の異常が疑われるのであれば救急へつなぎ、必要であれば救命処置を行って救急隊へ引き継ぐ。
気づく → 確認する → 対応する → その後も観察する → 必要なら救急へつなぐ。
この一連の流れが身についていれば、いざというときに「どうしよう」と立ち止まる時間を減らすことができます。
そして安全な搬送は、ドライバーだけでつくるものではありません。
ご家族が同乗しているのであれば、ご家族には「普段との違い」を見ていただきたい。ドライバーは移動中の変化を観察し、ご家族から「何かおかしい」と言われたら、その情報を受け止めて確認する。
お互いが同じ意識を持つことで、異常により早く気づける可能性があります。
日常の搬送だからこそ、観察を続ける
身体が少し傾く。車いすから少しずり落ちる。疲れて首を支えにくくなる。
これらは介護タクシーの日常では、決して珍しいことではありません。多くの場合、早い段階で気づいて姿勢を直したり、適切な支持を行ったりすることで対応できます。
だからこそ、「ちょっと」を軽視しないことです。
大きな異常が起きるのを待つのではなく、小さな変化の段階で気づいて対応する。そして対応したあとも、「もう大丈夫」と決めつけずに様子を見る。
介護タクシーにおける観察とは、何かが起きてから始めるものではありません。
出発したときから目的地へ到着するまで、利用者の変化を見続けることです。
介護タクシードライバーが医師になる必要はありません。病名を当てる必要もありません。
しかし、安全な移動を担う以上、普段を知り、変化に気づき、必要な行動を取り、その後も観察し、必要な人へつなぐ力は持っておきたいと思います。
高度な医療知識をたくさん覚えること以上に、異常に気づいたとき、迷うことなく「次に何をするか」が分かっていること。
それが、日々の介護タクシーの安全な搬送を支える基本だと考えています。
ISNでは現場から安全な移動を考えます
移動サポートネットワーク(ISN)では、介護タクシー事業者が医療職になることを目指しているわけではありません。
自分たちのできることと、できないことを理解したうえで、日常の搬送の中で異常に気づき、必要な対応を行い、自分たちだけでは対応できないことは適切な専門職や救急へつなぐ。
そのための知識や現場経験を、事業者同士で共有していくことが大切だと考えています。
また、利用者やご家族にも「何かおかしい」と感じたらドライバーに伝えていただき、一緒に安全な移動をつくっていただきたいと思います。
すべての方が移動で困らない社会の実現へ。
ISNではこれからも、教科書だけでは分からない日常の搬送現場から、安全な移動について発信していきます。
※本記事は介護タクシー利用時の安全意識や一般的な観察・対応について情報提供するものです。医学的な診断や個別の搬送可否を示すものではありません。緊急性が疑われる場合には119番通報など適切な緊急対応を優先してください。

