特に慎重な確認が必要になるのが、いわゆる看取り搬送です。
自宅へ帰って最期の時間を過ごしたい、病院から施設へ戻りたいなど、人生の最終段階にある方の搬送をご依頼いただくことがあります。
このような場合には、通常の搬送情報だけではなく、DNAR(Do Not Attempt Resuscitation=心停止時に心肺蘇生を試みない方針)の有無について確認する場面も出てきます。
ただし、介護タクシー事業者がDNARを決定するわけではありません。
厚生労働省のガイドラインでも、人生の最終段階における医療・ケアについては、本人の意思を基本として医療・ケアチームが慎重に方針を決定し、合意内容を文書にまとめることが示されています。
そのため事業者側として確認したいのは、例えば、
- DNARなどの医療方針が確認されているか
- その内容を確認できる文書があるか
- 主治医・医療機関はどこか
- 搬送中に状態が変化した場合の連絡先はどこか
- 急変した場合にどのような対応をすることになっているか
- 看護師など医療職の同乗が必要ではないか
といったことです。
「ご家族からDNARだと聞いています」だけで出発するのではなく、誰から、どのような情報を受け、どのような方針を確認したのかを記録しておくことが重要です。
もちろん、DNARがあるからといって介護タクシー事業者が独自の判断で救命措置を行わなくてよい、という意味ではありません。
搬送事業者の役割と医療従事者の判断は分けて考える必要があります。
また患者等搬送事業は、そもそも緊急性のない方を対象とした搬送事業です。
搬送中の急変が強く予測されるケースであれば、「同意書を取れば運べる」と考えるのではなく、看護師の同乗、医療機関との連携、搬送手段そのものの変更などを検討する必要があります。
書面は、危険な搬送を可能にするためのものではありません。
安全に搬送できる条件が整っているかを確認するためのものです。
記録は「あとから説明するため」に残す
記録を残すもう一つの理由があります。
それは、人間の記憶だけでは後から正確に説明できないからです。
搬送直後であれば、
「ご家族からこう聞いた」
「施設の担当者からこう説明された」
「この方法を提案した」
と覚えているでしょう。
しかし半年後、1年後に、
「当日の状況を教えてください」
と問い合わせを受けたらどうでしょうか。
毎日何件もの搬送を行っていれば、一つひとつの案件を正確に思い出すことは困難です。
事故が起きた案件だけではありません。
ご家族、施設、病院、保険会社などから後日確認を求められることもあります。
そのときに、
「確か、そうだったと思います」
ではなく、
「当日の記録では、このような情報提供を受け、このように説明し、この方法で搬送しています」
と答えられる。
これが記録を残す大きな意味です。
「1年間保存」と「すべて捨ててよい」は別の話
一般乗用旅客自動車運送事業者には、旅客自動車運送事業運輸規則により、運転者、使用車両、業務開始・終了日時、走行距離、旅客が乗車した区間などの業務記録を作成し、事業用自動車ごとに整理して1年間保存する義務があります。
一方、事故が発生した場合の事故記録については3年間の保存が必要です。
ここで注意していただきたいのは、
「だから搬送に関する書類は全部1年で捨ててよい」
という意味ではないことです。
法律上保存期間が決められている記録と、自社のリスク管理として残している書類は分けて考える必要があります。
特に、
- 高難度の階段介助
- 看取り搬送
- 医療依存度の高い方の搬送
- 長距離搬送
- 特殊な機材を使用した搬送
- ご家族や施設との間で特別な確認を行った案件
などについては、自社としてどのくらいの期間保存するのか、専門家とも相談しながら保存ルールを決めておくとよいでしょう。
法定保存期間は「最低限守るべきルール」であって、事業者自身のリスク管理まで法律がすべて決めてくれるわけではありません。
記録は将来のマニュアルになる
そして私は、記録にはもう一つ大きな価値があると思っています。
会社に経験を蓄積できることです。
一人で事業をしているうちは、
「この階段なら二人必要」
「この状態ならリクライニング車いすがいい」
「このケースは看護師に相談した方がいい」
という判断が、経営者本人の経験の中に蓄積されていきます。
しかし事業を拡大して従業員が増えれば、それでは通用しなくなります。
経営者には分かっていても、新しく入ったスタッフには分かりません。
そこで過去の搬送記録が活きてきます。
「どんな案件で危険があったのか」
「どんな方法で対応したのか」
「何人で対応したのか」
「どんな機材が必要だったのか」
「結果として何が問題になったのか」
こうした情報を積み重ねていけば、
個人の経験を、会社のマニュアルに変えることができます。
事故やヒヤリハットがあったときも同じです。
「気をつけよう」で終わらせるのではなく、記録し、原因を考え、次のルールに変える。
それを繰り返すことで事業としての安全性は高くなっていきます。
「運ぶこと」だけが搬送事業ではない
介護タクシーを「人をA地点からB地点まで運ぶ仕事」と考えると、書面作成や記録は面倒な事務作業に見えてしまいます。
しかし私は、そうではないと思っています。
依頼を受ける。
身体状況や住環境を確認する。
リスクを評価する。
必要な人数や機材を判断する。
利用者や家族、医療・介護関係者に説明する。
必要であれば確認書を作る。
安全に搬送する。
そして、その結果を記録する。
ここまで全部そろって「搬送事業」です。
車を運転して移動させることだけが搬送ではありません。
事前確認や書面を疎かにしないことは、事業者自身を守るためだけでもありません。
ご利用者やご家族には、
「きちんと確認してくれている」
という安心があります。
病院や施設などの関係者には、
「この事業者なら情報を共有して任せられる」
という安心があります。
そして従業員にとっても、
「会社として判断基準が決められている」
ことが大きな安心材料になります。
書面や記録は売上を直接生む仕事ではないかもしれません。
しかし、事業を長く続け、組織として大きくしていくほど、その価値は大きくなります。
搬送前の確認から搬送後の記録まで含めて、一つのサービスとして設計する。
そこまで考えることが、介護タクシーを単なる移動手段ではなく、一つの「搬送事業」として築いていくことにつながるのではないでしょうか。

